スーパー エイト「Super 8」

スーパー 8…洋画邦画問わず、私が映画を見る際に一番気にしている点が「伏線」である。スーパー8だけに限らず、映画はもともと人間が作り出した物語である。ゆえに製作者側が訴えたい「何か」が含まれている。そしてその訴えたい何かが映画を見る人間に届けば鑑賞する側と制作する側の両方が納得できるわけである。


映画「スーパーエイト」予告編

 要するに一流の映画と呼ばれた映画にはすべて伏線と呼ばれるテクニックが含まれていて、その伏線がいかに効果的に使われているか? ここが重要なポイントになる、と個人的に考えているのです。例を挙げてみれば、犯人を推理する物語で、主人公が突然、その辺を歩いている人間を「この人間が犯人だ」みたいなことを言っても、物語的に面白くもなんともないわけで、これと同じことが映画でも言えるわけですよ。

 さて「スーパー8」の話を始めよう。時代背景は1979年となっている。今しか知らない人には考え難いだろうが、一般の人が映画を作って(もちろん素人の範囲内で)楽しむためには8ミリフィルムを使って撮影していた。今ならデジタル式のホームカメラがあるので、誰でも簡単に動画を撮る事が出来る。だが1979年頃はフィルム(これも近い将来意味不明の単語になるだろうが)を使って動画を撮影していた。

 撮影した動画は街のカメラ屋さんに持ち込んで現像をしてもらい(当然これがカメラ屋の収入減だが)、自宅にある映写機で自分が撮影した動画を楽しむというサイクルになる。普通の家庭だと通常、子供が生まれたことを喜び、記録として残そうと考えたり、家族がパーティを開いたり、誕生日会を楽しんだりする風景を撮影するわけで、この辺りの事情は今も変わらない。

 そして、これは現在の名監督スティーブン・スピルバーグ「STEVEN SPIELBERG」にも同じことが言えて、学生時代に自宅に有った「スーパー8」でアマチュア映画を撮影していた。そして本作品の監督を務めたJ.J.エイブラムス「J.J. ABRAMS」もスーパー8を使って映画作りを楽しんでいた。ここまで来ればもうお分かりだろう、本作品「スーパー8」の作品名は彼ら二人が記憶の中に大きな存在として残る学生時代の録画機の名前からきている。

 カセット式の8ミリフィルムをセットすればいつでも撮影ができる訳で、今のホームカメラと存在する意味に違いはない。ただ機能性が大きく違うだけで、デジタルの場合消したり録画したりする事が自由だが、フィルムの場合撮り直しは不可能で、さらに言えば現像するまで撮影した動画の出来栄えは分からない。だからと言って不自由ではない、当時の若者に現在の便利さは理解できないから。

 と、またもや脱線している。ストーリーは主人公「ジョー・ラム」(ストーリー的に言えばすべての人が主人公と言えるが)の母親が事故で亡くなり落ち込んでいる場面から始まる。そこに壊れかけた黄色のクーペタイプの車に乗った中年男性「ルイス・デイナード」が弔問に訪れる。この人物像は後にならないと分からないのだが、ストーリーの展開上、重要な役割を担う。

 つまりこれが伏線で、訪れたこの男性を主人公の父親「ジャック・ラム」は追い返してしまう。そして時は流れ4か月後、元気を取り戻した「ジョー・ラム」は仲間と(実は元気ではないのだが元気そうに振舞っている)一緒に映画撮影を楽しむことに没頭していた。

 映画製作を指図するのは(映画の中での映画撮影の話)チャールズで、ゾンビ映画を撮る事に執念を燃やしている。若者が考える物語だからその場限りの知恵や思い付きでストーリーは度々書き換えられると言う始末であった。そして出演者の中に「アリス・デイナード」と言う女の子を参加させることも決めていた。

 映画撮影の日、時間は深夜、場所は街の駅構内。無人と化した駅前で、映画のリハーサルが始まる。アリスと呼ばれる女の子が迫真の演技を見せる。食い入るように見る少年達。その時、撮影シーンの一部として狙っていた貨物列車が近づくことに気づく。慌ててカメラをセットし、撮影を始める。

 再びアリスは迫真の演技を見せ、その横を貨物列車が通り過ぎる。声を張り上げて離さないと貨物列車の通過音が大きく、音声が入らない。だがその時、ジョー・ラムは一瞬、貨物列車が過ぎ去る方向を見ていた。不思議な動きをする一台の車が踏切に近づく。

 映画は一番のクライマックスに突入する。あまりには刺激的なシーンである、劇場で私は何度も呻いてしまった。隣にいた家内や通路を挟んで座るただの他人にも私の声は聞こえていただろう。いや彼女達も私と同様に映し出されたスクリーンの迫力に見入ったに違いない。いつになれば列車事故のシーンが終わるのか? 終焉のない物語かと思うぐらいだった。

 そしてこの列車事故からストーリー展開が速くなる。ネタバレになるのですべては書かないが、物語の組み立て方が非常に上手だと感じる。例えば一つのシーンでも人によって感じ方は違う。ある人は恋心を感じるが、人によっては友情に感じたり、また違う人には、これから起こる戦闘を思い起こさせたりする可能性は十分にある。

 つまり、人間は一つの現象を見ても感じ方は十人十色と言うわけだ。だからすべての人を満足、納得させるためにはすべての可能性を考えたストーリーの組み立てが必要となる。これがもしも、戦闘以外の何かを全く感じさせない物語に仕上げてあると、戦闘に興味を持つ人以外には「見る価値」を見いだせないことに成る。

 アリスはジョー・ラムに恋していたのか? それとも違う意味があってジョーと話しているのか? ゾンビとなった彼女がジョー・ラムの首筋に残した口紅の跡に含まれる彼女の気持ちはいったい何か? 人によって見る視線が違うから、私と全く同じことを感じる人は居ない。だけど間違いなく言える事はたったの一つ、スーパーエイトを見逃すな。と言う点だけだろう。

 なお、どの映画でも同じことが言えるが予告編で見せるシーンが映画本編ではないシーンがある。

青色の光線が持つ効果はいったい何だろうか?
今までにない怖さを表現することの難しさを観賞する側も考えるべきだ。
新たな怪物を作り出すことはもう不可能ではないだろうか?
80年代(正確には79年)をSFの世界として表現した点は評価できるだろう。
主人公「ジョー・ラム」が母親への気持ちを最後までに断ち切る事が出来るだろうか?
ある人物への想いを画像として表現させるにはどうすれば良いのか?

スーパー8/出演者/主人公となる6人組

ジョー・ラム 本名ジュエル・コートニー「Joel Courtney」

 本作品の事実上の主人公、同時にこの作品が映画デビューとなり、新星として期待されている。エイブラハムの面接を受けた時、まだ14歳だった。アイダホの中学に通いラテン語や理論額など、様々な(学生だから当然だが)学科を勉強している。

アリス・デイナード 本名エル・ファニング[Elle Fanning]

 個人的な意見になるが映画スーパーエイトの出演者の中で一番に輝いていた役者。1989年4月9日生れ。4歳年上の姉は女優の「ダコダ・ファニング」プロフィールを見ると様々な映画に出演歴があり、ハリウッドが期待する若手女優と絶賛されている。

チャールズ 本名ライリー・グリフィス[Riley Griffiths]
マーティン 本名ガブリエル・バッソ[Gabriel Basso]
ケアリー 本名ライアン・リー[Ryan Lee]
プレストン 本名ザック・ミルズ[Zach Mills]

主な出演者

ジョー・ラムの父親役…※本名 カイル・チャンドラー[Kyle Chandler]
アリス・デイナードの父親役…※本名 ロン・エルダード[Ron Eldard]
ネレク空軍大佐…ノア・エメリッヒ[Noah Emmerich]

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