猿の惑星 創世記(ジェネシス)

 猿の惑星 創世記(ジェネシス)2011-10-30…元となる映画は1968年に公開された「猿の惑星」で1973年にかけて5作が製作され、しばらく間が空いた2001年に第6作が公開されている。私自身がリアルに映画館に行ってみた記憶は全てないが、幼い頃にテレビ放送されていた映画を見た記憶があり、5作目までのストーリーがおぼろげながら思い出す事が出来た。

  何しろ40年以上前に製作された映画だから、私自身も小学生に入学していない頃である。正確な記憶が残っている方がおかしいというべきだろう。

 だが不思議と第一作を見た記憶は鮮明に残っている、何しろ猿が人間の言葉を話して高度な文明を持ち、逆に人間は奴隷のような扱いであった。

 幼かった当時の私は「現実に起こっている話だとしたら…」と感じていたものだった。

  もちろん最後のシーンで出てくる有名な人工物は小学生だった私でも理解できたし、当時のSFレベルを考えると見知らぬ衛星に不時着したという事だけで興奮したものだった。

 明言出来る訳ではないが、私が映画好きになったのはこの頃に見ていた映画が強い要因となったのだろう。

 もちろん猿の惑星だけではなく、多くの映画が私の趣向を物語と言う世界に向かわせたのは間違いない。

  さて本編「猿の惑星、創世記」に話題を向けよう。ストーリーは簡単で「猿の惑星」と言う存在(映画)があるが、なぜ「人間の立場と猿の立場が入れ替わったのか?」と言う問題と、その答に重点を置いている。と書けば、原作となった「猿の惑星」を知らなければ、愉しめない様なイメージが湧くかも知れない。だがその点に心配はないようで、原作を知らない私の妻が「面白かった」と感想を述べたぐらいだった。

  元々映画とは誰かが作成した物語を、ストーリーの巧妙さと描写、音響を組み合わせて(初期の映画を除いて)製作される。また、製作費用も観客をより多く呼び込むために年々増加する傾向にある。故に過去の映画、あるいは原作小説を知らなくても十分に楽しめる映画を作成する必要が有る為に、と言う面と、過去の作品を知っている人の期待度も考えて製作される。

  だから過去の「猿の惑星」を知らなくても「猿の惑星 創世記」は十分に楽しめる。ただ残念なのが、本編の持つ楽しさが世間(一般的社会生活を送る人の意味)に対する告知(早い話が広告)に行き渡っていない為、鑑賞する人が多くないという点だ。やはり単純に「猿の惑星」と言う題名だけを見ても興味がわかないのは、しょうがないと感じてしまう。

  クライマックスと言う意味では、橋の上で対立する「人間対猿」の戦いだろうか? この場面だけを切り取ると、派手な演出により興奮を覚える人が多いだろう。だが個人的には全ての場面に意味があると感じている。近代技術により人間の動きをキャプチャーし、その動画に登場する人間を猿に書き換える。要するにCG(コンピューターグラフィック)を駆使しているのだ。

  だが様々な場面に登場ずる猿(チンパンジー)に不自然さを感じる事はなかった。とは言え私の場合「映画の裏側」を常に考えているから、ごくたまに「それはやりすぎだろう」と思う場面が無かった訳ではない。だがそれもさらりと流してしまえば全く問題ない事だし、本編の訴える内容の方がより魅力的に、かつ新鮮に思えるほどだろう。むしろ、そんな些細な事よりも、サルの心理を考えた方が面白かも知れない。

  人間であれば時々、頭に浮かぶ疑問だろうが「私は何のために生まれてきたのか?」これと同じことを猿は考えているかもしれない。そして飼育係と猿との関係、動物園に行くと必ずいる存在ではあるが、逆に猿はどんなことを思っているのだろう? サルではあるが自然の中でのびのびと遊びたい、と思っているに違いない。そんな事を思う「猿の映画」でした。

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